“Less is more” デザインの原則。
機能性をどうやって上げていくかを考えた時、やっぱりその考え方に辿り着く。ややこしくなったら結局逆に使いにくい。用途の目的が完全に理解できて、その目的のために全ての要素が連動している。こういう状態が理想的。
えてして、こんな機能あったら便利かなあ、というノリで追加すると、本来の目的と少しズレたものになって、ややこしくなっていく。
削ぎ落とす作業というのはそのような本来の目的から逸脱した要素を切り離す作業。
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“Less is more” デザインの原則。
機能性をどうやって上げていくかを考えた時、やっぱりその考え方に辿り着く。ややこしくなったら結局逆に使いにくい。用途の目的が完全に理解できて、その目的のために全ての要素が連動している。こういう状態が理想的。
えてして、こんな機能あったら便利かなあ、というノリで追加すると、本来の目的と少しズレたものになって、ややこしくなっていく。
削ぎ落とす作業というのはそのような本来の目的から逸脱した要素を切り離す作業。
画像とか不用意に使い散らさない方が良いね。本当に必要な時のみに追加する。
で、その見定め
– あったほうが良いかな
– 必ず必要
この違いをどうやって見極めていくか、が洗練されたデザインへの道筋
それを社会システムにあてはめて考えると、じゃあ、機能的でない要素を排除、ということであれば、生産性の低い人々を排除、ということになる。
しかし、設計する行為の存在意義を考えた時、プロダクトは需要に基づいて設計され、その需要は消費者が作る。で、社会システムの消費者は誰かっていったら、その社会にいる人々になる。生産性が低い人々がある程度の割合を占める場合、システムの合理性の追求によるそれら人々の排除は、その人々の需要と相反してしまう。
これはつまり、設計対象のプロダクトに需要を生み出す要素が内在する時は、非合理性を残すという方が、設計としてあるべき姿なのかもしれない。そのようなケースでは、無駄のないエレガントなデザインというのは不可能。
わかりやすく言い換えると、効率性を求めていったら、自分自身が居ない方がいいよねってなる。で、自分の居場所がその設計対象に含まれる時に問題になる。