2010年放送の中国のドラマ『 三国志 three kingdoms』面白いなあ。張飛のパワハラ裁判とか、司馬懿が曹操呼び捨てにしたり。魯粛がやたら格好よかったり。一部役がハマってない感じや戦闘シーンのショボさは置いといて、単純に展開での引き込み方が上手い。
曹操が董承に対して密勅を預かっていないか確かめる時の駆け引きや、曹沖を毒殺したのは誰かを確かめる方法とか、 配下の忠誠心に関して漢王朝と君主どちらを重んじているかを密かにテストしたり、官渡の戦いの回戦前の大将同士の茶会とか。この後どうなるんだろうという疑問を常に観る者に植え付ける。しかも、もう既に使い古された題材で。
また、英雄達を神聖視することなく一介の人間として描いている。孔明はそれでも割と完全無欠な感じだけど、彼でさえ、囲碁で馬謖に負けたりしてる。周瑜は怒りっぽかったり、関羽は尊大だったり、劉備は蜀を乗っ取るときの良心の呵責とかきちんと描いている。曹操に関しては、匿ってくれた叔父に手をかけたり、卑劣な策を弄したり。偉業の裏にある人間性みたいなものを拾って描いている。
一方、陳宮、魯粛、荀彧とか、他の三国志だと目立たない人物が高潔に描かれていて、 彼らこそが歴史の立役者と言わんばかり。
人間の本性というか、そういうものをきちんと見抜いている人が作ってる感じ。相当な洞察力が無いと作れないんじゃないかな。まだ全部見てないけど、とても勉強になる。
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赤壁の戦いの決戦前、18歳の孫権が応戦を決意し張昭を総体調官に任じる際、和睦を推していた最年長であろう彼の体裁を保ちながら、組織全体を一致団結させる話し方は見事。性格、立場の違いによる考え方、答えの導き方や方法論の不一致による不和を、統率する者が「恐怖」ではなく「理解」によって解消させている。「士は己を知る者の為に死す」正にこれ。そこは、その回の華になるシーンなんだけど、ピンと来ない人には全く分からないはず。聡明なのは周瑜や孔明だけではない。あの一連の数話でワンショットで顔をアップで抜かれている人物ほぼ全員自分達の持てる知恵全てを投げ売って勝負しててそれが何とも健気で美しい。しかし、全体として物語の骨組みがしっかりしている為か、その素晴らしさを見落としていてもそれとなく観れる仕上がりになっている。
曹操「敗北は兵家の常。失敗を恐れるのではなく、心の敗北を恐れよ」こういうセリフがさらっと流れていくのよね。別の回では、曹操の街に触れ回した檄文を見た登場人物が「曹操は兵ではなく先ず心を挫きに来る」というような事を言う。こういう教訓や知恵を強調せず、少し注意していないと記憶に留まらない程度にしてそっと忍ばせてる。
どういう人間が生き残るのか、また、表舞台の覇者というのは何なのかを考える材料として提示してくれてる。
欠点としては、役者の演技がくさすぎる時があるんだけど、脚本がここまでしっかり作れてれば、アバタもエクボ。愛着に変わる。
一つ気になったのが、大まかな対立構造として、仁と非仁があり、それぞれ、劉備、曹操がそのアイコン的役割を担っている。曹操曰く「人我背くとも、我人背かせじ」。対して劉備は「人我背くとも、我人背かじ」。ここにおいて、「非道」という概念はあれど「悪」という概念が無い。西洋文明で言うところの悪は、予め人に備わった性質という前提がなされている印象。
もしかすると、キリスト教圏での悪の概念は人間は本来善な存在として位置づける考え方から立脚しているのではないか。善行悪行などというのは条件によって、一個人はどちらにへでも振れるものであり、無条件に悪とされる存在を作り出すというのは、対になる無条件に善であるという存在を作り出すことに他ならず、ある種の思い過ごし、勘違いと言える。
その勘違いを上手く利用して、罪悪感を共有し、それを正そうとすることで社会を機能させてきた側面を鑑みると合理的かもしれないが、ありのままを捉えるという視点では精度に欠き、それが自然の力を軽視する傾向に繋がっているとも言えるかもしれない。
ようやく全話観終えたが、いやはや。蜀の衰退から観るのが若干しんどくなったところはあるにせよ、終盤盛り返してきちんと見所をつくって楽しめるようになってる。全体を通して一貫してるのは「不条理」かな。
三国志のエンディングとか特に魅せる要素もほぼない中、普通の演出家だと淡々と説明的な進行になりそうなところが、司馬懿の妻の末路と司馬懿との関係性が明かされていったりと、間延びさせないためのギミックが張ってあって楽しめる。
司馬懿が玉座に何の躊躇もなく座ったり彼の妻に対する行為には観る者の度肝を抜く驚きを与える一方で、彼を慕う部下、彼が長年受けた不遇を考えると、納得できるものがあるし、孔明に兵糧の火計で万事休すになった時は、本当に彼がこのまま死ぬのだろうかと観る者に思わせることに成功している。それは、司馬懿がそれまで曹家にどれだけの仕打ちを受けてきたか、彼がどれほど献身的にその才能を捧げてきたかをきちんと描いているからで、それをシリーズ物の各話の中に布石として予め埋め込んでいくとなると、最初の脚本の設計段階で固められていなければならず、よく作り込んだなという印象。
単調になってしまいがちな三国志という既存のストーリーテリングに「えっ?!」と思わせる要素を散りばめて退屈させない演出は優れていると言わざるを得ない。観て良かった。
ドラマでは孔明の死の直前のセリフとして出てくる「漢賊両立せず」という言葉。実際は『後出師表』という書物に書いてるらしい。この言葉、重要な理を示しているような気がする。おそらくは、文脈上、蜀と魏は相容れないという意味だろうけど、忠臣と謀臣、あるいは仁と非仁とも捉えれる。
前者は約束を守る、後者は違える。もう少し言葉を解体すると、前者は主に従い主を立てる、後者は主に従わず主をないがしろにする。
2千年前の人が、これらは相反するものだと断言してるわけだ。しかし、現実は今もなお、この両方の人がひとところに混在している。「水清ければ魚棲まず」と言うように、恩を大事にする人もしない人も存在するのが世の常。孔明もそんなことはわかっているはず。
うーん。ちょっと考えがまとまらん。この両者は相性は良くないよ、という程度に心に留めて置くことにするか。
少し時間をおいて振り返ってみると、陸遜の印象が結構残ってる。配下に罵倒されながら退却を繰り返し、数ヶ月に渡る策略を成就させるわけだけど、賢いな。
手前の利益を取りに行っちゃダメってことなのよね。
で、現実社会でどうやって陸遜のような人を見つければいいのだろうか。