thoughtwonder

Michael Uno

発信者の意図を感じない形で、受け手に違和感を感じさせる時、視聴数は伸びる。それは、往々にして「新しさ」であり、受け手はそれを無意識に解明しようとしてしまうため、ではないか。

例えば、みてくれの悪いアイドルが TV に出始めた頃、そこに何かしら違和感を視聴者は感じ取って注目していたのではないか。毒舌キャラだとかオカマ・オネエキャラが出てきた頃も似たようなものかもしれない。古くはタモリ氏も最初は変な奴扱いだったそう。誤気が荒くて何をそんなに起こってるのかよくわからないコメンテーターとかいたけど、今では論客の重鎮的なポジションになってる人もいる。

そういのって、個性とは少しニュアンスが違う。社会性における違い、例えば女性弁護士だとか女性騎士だとか、女性国際政治評論家だとかって、その性別によるものでしかないから、 性差は多くの人が共有することから 本質的な個性、個別の性質、とはまた違う。で、そういった違いも含めて、違和感として視聴者には残る。

で、この違和感こそが、現在進行系のハイエンド的現象に該当する。言い換えると、「今って世の中こうなってる」という認識を見る者にもたらす。人の深層心理に、時代の流れ、現状の変化を把握したい、という欲求があり、これを満たすのではないか。

もちろん、表現する側が意図的にそれを仕掛けるということも可能だけど、その違和感が人工的なものだと分かった瞬間、見る方は「あ、なんだ」と白けて興味が薄れるので、注目を作りたいのであれば、その意図は隠すことにこしたことはない。自分でその違和感を認識していない方が、観るの方はその表現なり存在なりを社会現象として捉える為、強い。しかし、表現者自身は、なぜ人々の関心を集めることができたのかということがずっとわからず仕舞いでやっていくことになるという点では、再現性の観点から弱点になるとも言える。

もちろん、注目してもらった後に良質な体験を届けないといけなくて、それをクリアした者が生き残るんじゃないのかな。

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