Insightthought

Michael Uno

特性が表出するのは、余分な要素を削ぎ落とし切った時か、それとも、余分な要素を含有している場合なのか。

完コピした時にオリジナルが表出する、とはよく言ったもので、削ぎ落とせない要素がその個性を象るという。対して、遊びと呼ばれる一見無駄な要素が、その存在の雰囲気を醸成し、全体のカラーを彩る事がある。生命の種のデザインでも、ライオンのたてがみや鹿の角、魚類だと、やたら口が長かったり、おでこが出っ張っていたりする種がいる。

何かを解決するための機能性を帯びているかそうでないかであれば、 ラクダのこぶ やアリクイの口が長いのは理にかなっている。個性的なたてがみや大きな角、羽の模様は概して雌を獲得するためだと言われているが、種全体として何を糧に生存するのかという観点からは無駄。しかし、その無駄を維持できるコストが生命力を示し、強い雄を見分ける手がかりになっている。

これを考えた時、種内部での存続の為の生存戦略上の特性と、その種が外界と関わる上での生存戦略上の特性が異なる、ということが分かる。つまり、特性には2種類ある。

ライオンの爪や牙、機動性、大きさがサバンナで他の種の戦闘力を圧倒する機能性、これを外的特性とし、種の内部で行われる営みに最適化された様式が象る特性を内的特性と分類できる。

これを踏まえておけば、個人が何か表現する上で特性を意識する時、それは内的特性なのか、それとも外的特性なのかを考えると、その機能性の必要性を判断するのに役立つ。

Add a Postscript

Your email address will not be published. Required fields are marked *