break

Michael Uno

朝、起きて間もなく朝食の準備。キッチンへ。いつものルーチンが始まる。電気ケトルに水を入れ沸かす。手を洗い、一晩冷蔵庫で寝かせた赤ちゃんの肌のようにふんわり柔らかい パン生地を取り出し、打ち粉をまぶして、グリルプレートに張り付けるように広げていく。その上に、自家製ピザソースをまんべんなく塗る。仕込んでおいた小分けした野菜をトッピングし、最後に少量のチーズをまぶす。グリルに入れ、火力とタイマーをセットしてスタート。この間2分もない。

焼きあがるまでの間に、自家焙煎のコーヒーを淹れる。もうケトルの湯は湧いている。コーヒー豆を電動グラインダーにかける。グィーーン。ステンレスの断熱タンブラーにドリッパーとペーパーをセット。砕いた粉を入れる。グラインダーの容器に付着した粉の香りを確かめる。「よし、良い香りだ」そして、粉を蒸らす為の少量の湯をドリッパーに投入。「うーん、今日はいつものように粉が膨れない。ローストしてから数日経っているので、ガスが抜けてきたか。」などと思いを廻らし、待つこと十数秒、ドリッパーのまたその上に、底に小さな穴を開けた自作の容器をセットし、そこに一気に必要分のお湯を入れる。その自作容器から点滴のようにお湯が滴り落ちることで、ドリッパーの中の粉全体が浸水しないようになっている。後は待つだけ。

そして、その間に顔を洗いに行く。

数分後、戻ってきて、グリルの様子を見る。

「むむ。生地が膨れすぎている。これではグリル庫内の上部のヒーターに接触してしまう。なんとかせねば」と、一旦ピザをグリルプレートごと取り出し、スパチュラで上から生地の気泡を潰すようにぐいぐい押す。これで、なんとか多少平たくはなったので、グリルに戻す。 こういうことは時々ある。

戻してみて、「んー、生地の高さ、もうちょい低い方がいいか」と思い直し、グリルのドアを半分引き出したまま、その上から再度スパチュラで生地を上からぐいぐい押したその時だった、

ガシャーン。

一瞬何が起こったのか把握できなかった。グリルのドアが外れ床に落ちたのだった。ピザはグリルプレートに付着したまま、すぐそばにあった小麦粉が入った箱の上にひっくり返ってぶちまけられていた。トッピングの具は四方へ散乱していた。

その場には、こんがり焼いた小麦とチーズとコーヒーの香ばしい香りが漂う。

呆然としていた。 思考が止まる。状況を把握しようとすると、今や生ゴミと化した床や箱に付着した野菜を拾わなければならないという思念が生まれる。それすら考えるのも嫌だった。この喪失感。形容できない。

どれくらいの時が流れたろう。覚えていない。沈黙が続いた。呆然としていた。冬の寒さが肌を刺すので、そこにただ立っているのも辛くなり、腰をかがめ目に映る有機物を指でつまみ、控えのグリルプレートに乗せていった。これがその時できるであろう、本当に美味しいピザへの最大限の弔いだった。

こうして始まった一日をどう過ごせばよいのか。そんなことを考えながらこの文章を書いてたらなんか落ち着いてきたわ。

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