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Michael Uno

人が誰かを偉そうだと認識する時ってどういう時だろう?

説教くらった時とかかな。世の中に何かを提言する人もたまに偉そうとか言われたりする。ふんぞり返って指示や命令を出す人は確かに偉そう。

共通するのは、人の言動の制御に関わる点。ある考え方や価値観を見つめ直すべき的なことを声高に叫んでも、おそらく、その価値観で生きてきた人にとっては偉そうだと聞こえるだろう。価値観は行動の指針になるわけなので。敬語使ってるかどうかとか丁寧な言い回しかどうかなんて関係ない。いつも座っている人に、「座らないで立って作業しましょう」と言ったら、多分だけど、偉そうだと認識される。

単なる情報を与えるだけであれば、この認識を避けることができるはず。例えば、1日8時間座っている人は3時間の人とくらべて寿命がこれだけ違いますよというデータを見せるだけだったら、おそらく、偉そうとは言われない。なんなら、「このデータやばくね?」って感じで一緒に恐れおののいてあげれば、むしろ好感度は上がるだろう。

自国ファーストの考え方を突き進めると、これこれこういう不具合が出ることが歴史で証明されていますよ、といった具合の事例を出すだけであれば、おそらく偉そうバイアスからは逃れられる。そして、「そこが心配なんだよなあ」と危惧を表明するだけに留める。これだけで十分伝わる。

「なんでそんなことしてんの?アホちゃう?」とか言うと、9割方、偉そう認定される。これは、色んな人が色んな所で気づかずにやらかしてる。寿司職人の数年の下積みを批判する人とかいたね。炎上してた。気をつけよう。

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  • あと、人がどのような時に「上から目線」と感じるのかのメカニズムに関しても時間があれば考察しておきたい。作品に対して感想を言っただけで上から目線とかあるし。差し入れしただけで、見下してるのかと怒ったりする人もいる。言い回し、姿勢・態度、受け手の問題など。これは複雑そう。

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