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Michael Uno

マウンティングの効能について考えている。何のために人はそれをするのか。一体どういう状況をマウンティングと呼ぶのか。その正体とは?

マウンティングは、心理的(精神的)優位性を植え付ける行為、だとして、その優位性ってなんだって話で、言い換えればポジションと言える。この場合、他者との関係性においてのポジションとなるので、地位に関係してくる。

A と B が会話していて A が少し知見の足りないことを言って、B が「おいおい、何言ってんだ、それはこうすべきだろ。分かってないなあ」という感じでマウンティングを取る時、両者の中で何が起こっているのだろうか。

B が発言した時に、何か大きな物音がして A が聞こえなかったとする。そうすると、B はマウンティングに成功したと言えるのかどうか。ケース的に、

  1. B は A が聞こえていないことに気が付き、マウンティングが取れなかったと認識
  2. B は A が聞こえていないことに気が付かず、マウンティングを取れていると認識
  3. B は A が聞こえていないことに気が付かず、また、マウンティングしている意識もない

これ、どれもマウンティングがとれているとは言えない。となると、A が何かしらの精神的な状態になることで初めて、マウンティングが成功していると言える。では、A がどのような状態になったら、マウンティングが効いているということになるのだろうか。

  • 「そうだね、B の言うとおりだね!」
  • 「うーん、そうなのかなあ。まあ B の言うことも一理あるかもね。」
  • 「ん?何言ってんだ。それがうまくいかないケースあるだろ。冗談はやめてくれ。」

おそらく、上の2つはマウンティングの状態と言えそう。

じゃあ、マウンティングに成功したからといって、だからなんなの?って話で、人は理由もなくマウンティングしない。何かそれをする理由がある。それは何か。

一つは、上の例で言えば、「A はその物事に関して次から B の意見を尊重するようになる」これではないか。これってつまり、A の中で B は重要人物になる、ってことでつまり、その後、その分野における A の行動の判断基準に B が関わるようになる。

で、複雑になってくるのが、傍観者の C 他第3者がいる時で、A が B にマウンティングを取られているという意識がなくても、C が「あ、B の言っている方が正しい。この分野に関しては B の方が詳しいな」と認識したら、C は A より B の意見を尊重するようになる。

人々が自ずとマウンティングをしてしまう、その隠された狙いはここにあるのでは。人の深層心理に、社会の中で重要な存在になりたい、という欲求があり、それを示すのがマウンティングなのではないか。人類が集団生活を営んできた中で培ってきた習性なのかもしれない。

「あー、マウンティングうざいな」と思ったら、「ん、君はそんなに重要視されたいんだね。よちよち」と受け流してあげる大人の対応も時には必要だ。

Postscripts
  • 差別や嫉妬も突き詰めたらこの原理だね。集団の中での地位向上の欲求。これ。

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