「何を言ったか vs 誰が言ったか」は結局ターゲットオーディエンスが誰かってとこなんだろう。
不特定多数に向けてなら、社会的地位なりそれなりに信用を担保する要素がないと、ほぼほぼの人が最初から聞く耳を持たない。何を言ったかが通用するのは、聞く人にそれなりの素養があることが前提になる。その素養は資質だけではなくて、社会的なコンセンサスの裏付けも絡んでくるから、相当ハードルが高い。
そう考えると、発言する場所ってきちんと選ばないといけないなあ。極端な話、小学校の教室で政治の話しても分からない。で、その話してる人が仮に大臣なり要職を務める人って聞いたら、その場にいる子は理解できなくてもしっかり話を聞くだろう。
ってことは肩書ってめっちゃ重要ってことだねw
ただ、本質を認識できる人って割合いは少ないけど一定数いるので、そういう人に届く言葉であれば、発言する意味はあるのかもしれない。その代わり、理解してもらえるという期待値は低く見積もる必要がある。
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アドバイス系の話に関しては、やはりその道の成功者でないと説得力がない。例えば、逆上がりができない人が、逆上がりのコツを説いても、「あーそれで自分を奮起してるんだろうな」と見えても「よし、そのやり方取り入れよう」という気にならない。
一方で、成功者のノウハウを取り入れても、その成功者が持つ前提条件を満たしていないと、全然うまく行かない。例えば、異性を落とす方法とか、イケメンの手法をブサイクが真似したところで上手く行かないことが殆どだろう。
となると、仮説検証のプロセスの中で、成功者の方法を実験的に取り入れてみて、区切りをつけて見直していくという姿勢が望ましいのではないか。