デザインとは何か。結論から言うと、それは設計。そして、その行為をつきつめると、要素の配置の整理整頓と優先順位。
要は、利用する人の思考の負荷をどれだけ減らして目的を達成できるかということ。目的とは、ポスターであれば情報を得るであったり、道具であればそれを使って得られる結果。
グラフィックデザインの場合は、目を引く要素も必要で、見て退屈だとまずくて、何かしらそこに遊びの要素が加わっていると目に留まりやすい。それがレペティションだったり、リズムだったり、カラーバリエーションだったり。Web デザインだと、よく使うページは、極力事務的なうるさくない色使いが好ましかったりする。
共通してるのは目的達成の手助けをするということで、その阻害要因ができるだけ少ないデザインが良しとされる。
不揃いなレイアウトが好まれないのは、視覚における認識の負荷を作り出すからで、その視覚性不協和音の意味を考えてしまう人もいて、特に意図したわけでもない、ただのノイズでしたとなると、その思考はなんだったのとなる。こういった思考の負荷ができるだけ少ない方が、ツールとしては扱いやすいということになる。
デ・クーニングやジャクソン・ポロック、サム・フランシスといった近代絵画などで見られる、ぐちゃぐちゃした有機性を帯びた不揃いな感触がグラフィックデザインで好まれない理由はそこにある。自己表現におけるユーザーは誰かというと、作者自身であり、その作者のテイストと合致する感触というのは混沌とした有機的不揃いだったりする。一方、ユーザーが不特定多数のケースが殆どの請負いデザインの場合、目的達成の阻害要因となる有機的パーソナルテイストは極力抑えることが望まれる。
ちなみに、絵画制作においても、要素をどのように配置するかを決める構図を考えたりする。それは、設計、つまりデザイン。デザインは絵画のみならず彫刻、音楽、漫画、アニメ、小説、プログラム、制作行為全般におけるプロセスの一部である。近代絵画とグラフィックデザイン、同じ2次元でも、単に表出した視覚要素が有機性を帯びているかどうかの違いでしかない。ユーザーが誰かというだけ。前提となるユーザーが一人であれば、ぐちゃぐちゃしてても OK ということ。そしてそのぐちゃぐちゃ具合が唯一無二のテイストにまで昇華されれば、それは立派なアートである。優れたグラフィックデザインかというと、そのユーザーにとっては、という条件付きで Yes となる。