変換ミス、って自分のメモ用なのに修正する意味あるのかなあ。
どこで自分は変換ミスし易いかというのを可視化する為にあえて残すというのもありかも。
IME は VM を最新のスナップショットにリストアしたらリセットされるので当てにならない。
で、思考を走らせる時に、一々見直してたら、思考のリズムが崩れるのよね。プログラミングとかでもそうだけど、集中が切れて、2~3日経って別のことして、戻ってきたら、殆ど覚えて無くて、思い出すのに時間を費やすとかよくある。
で、この現象が、1セッションの思考にも当てはまる。思考がスムーズの時は、タン -> タン ->タンという感じで結論が短い時間で導き出せる。これに見直しのプロセスを挟むと、タン -> 見直し -> タン -> 見直し -> タン という感じになるが、実際は、タン -> 見直し -> えーっとなんだっけ、あ、そうそう、だから -> タン -> 見直し -> えっとなんだけ… こんな感じになる。
だから、見直すのは一連の思考が纏まった後が良い。でも、それだと見直す時に見落としがどうしても出てくる。
チェスとかもそうだけど、調子が良い時は思考が速い。遅考すると、逆にボロが出る。
パフォーマンスを最大化してくれる最適なリズムというのがあって、これをどういう風に再現、維持できるかというのは、常々意識する必要がある。
Postscripts
ただ、誤変換はあまりにも酷いと知性を疑われるので、この辺りが問題なのよね。結局、問題は”他人の目”。やはり、これが行動の抑制につながっているケースが殆ど。
過ちを過ちとして残し、逆にそれが何かしらの機能性を帯びるような、システムを組めれば、ものすごく強い。まあ、見せ方の問題なんだろうけど。